Sir Edward Coley Burne-Jones~From the United Kingdom

2026.06.17

イギリス歴史・雑学

静ひつな人物が印象的なエドワード・バーン=ジョーンズの画。イギリスのヴィクトリア時代を代表する画家の1人です。バーン=ジョーンズは最初から画家を目指していたわけではなく、オックスフォード大学エクセターコレッジで牧師になるための勉強をしていました。けれど同じコレッジに在学していた同級生との出会いがバーン=ジョーンズの生涯を変えてしまいます。

オックスフォードのコレッジで出会ったのはウィリアム・モリス。後年モダンデザインの父と呼ばれ、工芸家、詩人としても活躍する才能あふれるモリスと出会ったバーン=ジョーンズは中世の世界に美を見出します。2人はともに芸術への道を歩み始めることを決意。バーン=ジョーンズは15才から生まれ故郷のバーミンガムで美術学校に在籍していたことがあります。小学生の頃から戯画を描きクラスでも人気があったバーン=ジョーンズ。大学を中退し、モリスと共に美の世界の追求を始めます。

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最初は水彩画ばかりだったバーン=ジョーンズは、1864年に水彩画家協会の会員となります。「慈悲深い騎士」の水彩画は師でもあった画家のダンテ・ガブリエル・ロセッティが、バーン=ジョーンズの画力に目を見張ったと言われています。モリスが創業した会社で装飾芸術品にも携わり、美しいステンドグラス、タピストリーなどを製作。その人気は高く注文が続いていきます。バーン=ジョーンズが本格的に油彩画に知り組んだのは後年になってからことで、1877年にロンドンにグロブナーギャラリーが開館するとそこを作品発表の拠点とします。「マーリンの誘惑」、「ヴィーナスの鏡」、「コフェチュア王と乞食の娘」は絶賛され、一躍有名画家となりました。

バーン=ジョーンズは画家を目指した人生ではなかったのですが、モリスと出会いその才能を存分に発揮することができました。バーン=ジョーンズの神経質そうな風貌は一見近寄り難く、描かれた美しい人物像にも熱量や感情の爆発を感じさせるものではありませんでした。モリスとともに50代の笑った写真を見た時、やっと人間らしいバーン=ジョーンズが見えてきました。ともに白髪白髭となっても終生の友情は続きます。1896年にモリスが先に逝ってしまうと、悲嘆に暮れたバーン=ジョーンズは、2年も経たないうちにこの世を去ります。大切な友人、仕事のパートナー、それ以上のものをバーン=ジョーンズとモリスは分かち合って歩いてきた人生だったのでしょう。

※ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館には、意外とバーン=ジョーンズの作品たちが展示されています。写真はミュージアムカフェのモリスルームのステンドグラス、絵画室の1870年の1枚「The Mill: Girls Dancing to Music by a River」。またナショナルアートライブラリーに上がる階段にも未完の大作が掲げられています。