Patrick Lafcadio Hearns~From the United Kingdom

2025.09.10

英国史雑学

ラフカディオ・ハーン、日本に帰化してその名を小泉八雲として、怪談を始め多くの著述を残した明治の人。最近ではNHKの朝ドラでその人物像が描かれます。

アメリカで記者をしていたラフカディオ・ハーンですが、父親はイギリス陸軍の軍医で、アイルランドで教育を受けています。父親のイングランドとアイルランド、母親のギリシャの血筋を引くラフカディオ・ハーンのプロフィールを今回ご紹介しましょう。

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ハーンは母親の祖国ギリシャのレフカダ島で1850年に生まれます。父の国のアイルランドに移ると間もなく、母はギリシャへ帰ってしまいます。言葉と生活習慣が合わなかったのでしょう。16才で左の目を負傷し、ロンドンでも治療を受けますが失明してしまいます。ハーンは生涯その容姿を気にして、左側が写らないよう、写真に収まり続けます。深い傷は心にも残してしまいました。新聞の特派員として来日しましたが、その職を解かれても日本に滞在したハーン。1890年の夏、教師の職を得たハーンは島根県松江に赴くことになりました。

ハーンは松江のさまざま様子を記しています。大きな地球の鼓動を聞いて目を覚ますと、それは杵で米をつく音、橋に下駄の音がだんだんと重なり、その音が大きくなっていくこと。柏手、もの売りの声、蛙の合唱、鏡のような朝の川面、山に広がる靄、太陽が昇った瞬間の宍道湖の色合い、長い尾を引く提灯の光と、耳と目で体感した松江の印象を鮮明に伝えてくれています。

当時の人々と会話から得た知見。特に松江に赴任して間もなく結婚した妻、小泉セツとのコミュニケーションがとても大切なものでした。そこには日本語の理解だけではなく、異文化の理解に努めようとしていた姿勢も感じられます。そしてセツの不思議な話に引き込まれ、その興味を募らせます。やがてそれは「怪談」としてまとめられました。

東京大学での教師の仕事も得て、1896年には日本に帰化します。ハーンは小泉八雲と名を変えました。幼い頃から両親と離れて過ごした孤独な少年は、日本人の妻を娶り4人もの子どもたちを授かります。けれど初めての女の子が生まれ、「怪談」を出版された年に自宅で亡くなります。54才の人生でした。ギリシャからアイルランドへ、アメリカへと転々とした小泉八雲でしたが、日本への理解を深め、日本人となって今は東京の雑司ヶ谷で静かに眠っています。

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新宿区富久町にある小泉八雲旧居跡の前を通りました。日本人に帰化して転居した家。1902年の春まで住んでいたそうです。また上野の子ども図書館にも小泉八雲の像が、さらに新大久保の最後の家にイギリスのブループラークのような銘板もありました。