George Eliot~From the United Kingdom
2025.11.07
It is never too late to be what you might have been.
何か後押しがほしい時この言葉を思い出します。「貴方がなりたかったか自分になるのに、遅過ぎるということはありません」
これはイギリスの女性作家ジョージ・エリオットの言葉です。女性なのになぜ男性名のジョージを名乗ったのでしょうか。そこにジョージ・エリオットの秘密があるように思われます。
ジョージ・エリオット、本名メアリー・アン・エヴァンスは1819年11月22日生まれ。それは長いジョージ3世の御世が終わる頃でした。翌年すぐにジョージ4世の時代となり、ウィリアム4世、ヴィクトリア女王の時代を生き抜いたジョージ・エリオット。読書家で頭脳明晰、けれど16才になると学校には行かず図書館で勉強を続けています。その後スイスにいたこともあったようですが、30才でロンドンに移り住みます。
ジャーナリストとして原稿を書いていましたが、エリオットは作家を目指していました。そしてペンネーム、ジョージ・エリオットとして作品を発表します。ジョージはエリオットのパートナー、2才年上のジョージ・ヘンリー・ルイスからとりました。パートナーのジョージ・ヘンリー・ルイスには妻子がある身でしたが、オープンマリッジの関係で1854年から生活をともにしました。その生活はルイスが1878年に亡くなるまで続きます。
なぜエリオットはペンネームを男性の名にしたのでしょうか。それについてエリオットは生前話しています。女性作家というフィルターで作品を軽んじられることを避けたかったようです。女性作家の作品には非現実的なものが多いと揶揄し、その文章も匿名で発表しています。幸せな結婚を夢みる女性の小説は書きたくなかったようです。1859年に出版された小説「アダム・ビート」。批評家からは好意的に受け入れられています。「一流」、「最高」の小説と称されますが、女性が書いたものだとささやかれてもいます。
1878年にルイスが亡くなり、それから2年も経たないうちに20才以上年下の長年の知己のジョン・ウォルター・クロスと結婚したエリオット。それは初めての結婚でした。「遅過ぎるということはありません」というエリオットの言葉が響きます。けれどその結婚から7カ月後にエリオットは持病をこじらせて亡くなります。ちょうど61年とひと月の人生。人々の心を打つ小説と言葉を数多く残した人生でした。
※写真の肖像画はロンドンのナショナルポートレイトギャラリーで見つけました。作家ヘンリー・ジェイムスは彼女の容貌を最初醜いと評しますが、わずかな時間で美しい姿が宿ってくると伝えています。人は見目形だけではない魅力をどこかに秘めていれば、それが美につながるのでしょう。

