Tama Kurokawa~From the United Kingdom
2025.09.28
あまり資料が残っていないのですが、イギリスに渡った明治の日本人女性がいました。その女性の名は黒川玉。来日したイギリス人ジャーナリスト・詩人のエドウィン・アーノルドの3番目の妻に乞われ、渡英します。夫とは37才も年齢差がありました。
黒川玉とアーノルド卿が結婚したのは1897年。玉が27才になろうとしていた10月20日、ロンドンのアールズコートのあるセント・マサイアス教会で結婚式を挙げました。Sirの称号を持つアーノルド卿と結婚したことで、玉は日本人初のLadyの称号を持つ女性となります。端正な顔立ちで長身、スタイルの好い玉は洋装を見事に着こなしていました。残っている写真を見ると、その美しい顔立ちにドレス姿が輝いています。
遠く日本を離れて言葉も習慣も、生活スタイルが全く違う世界に渡るその勇気を持っていたのでしょう。ロンドンでの生活にも順応し、社交界でも言葉に不自由がなかったと伝えられています。そこまでたどり着くには、考えられないほどの努力があったことと思われます。夫は結婚後、たった6年半で他界。歳が離れていたので、その結婚生活の短さは予想されていたことでしょう。けれど玉は帰国することなく、イギリスで暮らし続けます。
アーノルド卿の未亡人として、その後も社会貢献活動を続けます。白十字連合の国際大会に出席したり、英国日本協会のメンバーとなって日本との架け橋を務めたりもしています。明治に生まれた1人の日本人女性。特別な教育を受けたわけではなく、ただ歳の離れたイギリス人に結婚を申し込まれ、日本から離れて、そんなにイギリスの生活の水が合ったのには何か理由があったのか、知りたくなります。玉はイギリスに何か光明を見つけたのでしょうか、自分ができる使命を感じなければイギリスに留まる理由はなかったと思われます。それとも日本に帰る伝手はもうなかったのでしょうか。資料が見つからないのが残念です。
ロンドンで結婚してから65年。玉はイギリスで生を終えます。93才もの長い人生のほとんどをイギリスで暮らし、もうすでにイギリス人だったのでしょう。その名が高まることもなく、歴史に埋もれてしまった日本人女性。写真に残るその姿に、言葉の壁も文化の違いも乗り越えた力強さと凄みすらも感じさせられます。
※写真は夫と暮らしたロンドンの家に掛かるブループラーク。この家にはアーノルド卿の世話係・玉の世話係・料理人・給仕・ハウスメイド・キッチンメイドの6人もの使用人がいたのですから驚きです。