2nd Earl Grey~From the United Kingdom
2025.10.04
第2代グレイ伯爵。今では紅茶のブレンドとしてその名が有名になったアールグレイ、その名はグレイ伯爵の名からとったと言われています。
チャールズ・グレイ、第2代グレイ伯爵は18世紀半ばにイングランドのノーサンバーランド州のホーウィックホールで誕生しました。ここはグレイ伯爵家の本拠地。後の君主のウィリアム4世の1つ年上になります。第2代グレイ伯爵は名門のイートン校からケンブリッジ大学に進み、22才の若さで国会議員に選出されました。その後外務大臣から首相へと昇りつめます。
第2代グレイ伯爵が首相になるまでは政治は混迷し、与党のホイッグ党は野党となり、23年も政権は交代したままでした。1830年ジョージ4世が崩御すると、ホイッグ党は与党に復帰します。1830年11月グレイ伯爵内閣の誕生です。貴族の威信、ホイッグ党としての改革を示しますが、貴族院だけの政治に限界が来ていたのかもしれません。今では上院と呼ばれている貴族院。良識を問う政治を行うための組織で、今もその議会のスタイルは続いています。
貴族たちが政治に関わってきたには理由があります。所有する領地があり、元々そこに暮らす人々の上に立っていたからです。人や土地を統治することが貴族の務め。ノブレスオブリージュの言葉にあるように、高い地位にある者は義務を負わなければならなかったからです。
第2代グレイ伯爵は1834年まで首相を務めましたが、首相辞任後は政治の道から手をひきます。すでに70才でしたから十分に義務は果たされたことでしょう。ノーサンバーランド州のホーウィックへ戻り、穏やかな生活を送ります。生まれた土地で余生を過ごし、眠るように81才の生涯を終えました。
ではアールグレイの紅茶と第2代グレイ伯爵はどうつながっていったのでしょうか。紅茶のブレンドのアールグレイは第2代グレイ伯爵にちなみその名がついたと言われていますが、第2代グレイ伯爵が愛飲していた紅茶でもなく、いったい何の関係があったのでしょうか。
アールグレイの紅茶はベルガモットオレンジのオイルで風味づけしていました。トワイニングが売り出した文句には、「第2代グレイ伯爵のためにブレンドされたもの」とあるようです。伯爵家の名は使っていても使用料はとっていません。その代わり、今ではホーウィックホールにアールグレイティールームを営業しているようです。伯爵家の領地でアールグレイの紅茶、ぜひ飲んでみたいと思います。
※建物の写真はグレイ伯爵家の居城、イングランドのノーサンバーランド州ホーウィックホールです。