Beatrix Potter and William Heelis~From the United Kingdom
2025.08.11
ピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターは裕福な家に生まれ育ちました。自分の仕事をしてお金を得ることを両親に反対され、それでも出版したピーターラビット。その出版をサポートしてくれた男性とは結婚の約束まで交わしたのに、突然の病気で永別してしまいます。
美しく聡明なビアトリクスでしたが、結婚は47才の1913年。恋人を亡くして、その悲しみを忘れるために移り住んだニアソーリで、新しい出会いが待っていたのです。お相手は6才年下の弁護士、ウィリアム・ヒーリス。ヒーリスは結婚前からビアトリクスの仕事のサポートをし、1912年にはすでにプロポーズはしていたようです。けれどビアトリクスの両親の反対、それは想像がつくことだったのでしょう。2人は少し時間を置き、反対されても結婚にこぎつけます。結婚の翌年父親が亡くなると、ビアトリクスは母親を近くに移り住むように説得をはかります。戦争が始まり、母親をロンドンに置いておきたくはなかったのでしょう。
母親が移り住んだ家は最初ニアソーリでしたが退屈だったらしく、湖が臨めるカントリーハウスを用意して母親を引っ越しさせます。このカントリーハウスはホテルになって今では一般の人も宿泊できるようになっています。父親が撮影したビアトリクスの家族写真がホテルに飾られ、広大なガーデンが季節ごとの美しさを見せてくれます。当時のままの姿を維持したカントリーハウスも美しく、湖水地方の自然の中に絵のように建っています。ピーターラビット好きでなくても泊まってみたいホテルです。
夫のヒーリスは温厚で控えめな性格で、ビアトリクスを支え続けて30年と2カ月ともに暮らしました。1943年12月22日、一番日暮れの早い季節にビアトリクスは旅立ちます。ビアトリクスが亡くなるとヒーリスは悲しみに暮れ、ニアソーリを離れてしまいます。ヨークの老人ホームに移り住み、ビアトリクスを追うように20カ月後にこの世を去りました。
2人の写真はロンドンのナショナルポートレイトギャラリーのカードです。ギャラリーショップでは見つからず、航空便で送ってもらいました。ご夫妻の親愛がにじみ出ている表情がとても素敵です。別れがあっても人はまた人と出会って、その縁はつながります。どんなことがあっても信じていれば、神さまは最高のパートナーと出会わせてくれる、そんなことをご夫妻の写真から感じます。