ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう

2025.10.23

英国史雑学

イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。

Dorothy L Sayers (1893–1957)

  • Dorothy L Sayers (1893–1957)

イギリス人の女性作家ドロシー・L・セイヤーズ。探偵ピーター・ウィムジーが活躍する小説を書き、イギリスではとても人気の作家です。セイヤーズは1893年に牧師の娘としてオックスフォートで誕生しました。セイヤーズ4才の時に一家は、イングランド東部のイーストアングリアに引っ越しをします。イーストアングリアは6世紀にアングル人とサクソン人の王国があった場所。東の海側は北欧からの脅威もあり、その王国は途絶えてしまいましたが、サットンフーの遺跡など観るべきものがある地域です。

そのイーストアングリアでも人里離れた沼地、ブランティシャム・カム・イーアリスで育ったセイヤーズ。学校ではなく家庭での教育を受け、孤独な子ども時代を過ごしましたが、ここで文学の才能に恵まれる力を蓄えていったようです。物語の世界を紡ぐ力を、その孤独な少女時代に育みました。作家として成功するまでは広告のコピーライターとして生計を立て、やがて貴族探偵のピーター ウィムジー卿が創作されていきます。

アガサ・クリスティと肩を並べるようになったセイヤーズ。それは時代も味方しました。推理小説や探偵小説、犯罪小説と呼ばれる物語が黄金期を迎え、有能な名探偵が物語の中で活躍していきます。1923年発表の「誰の死体?」でピーター・ウィムジー卿を貴族探偵として登場させ、1937年まで11の小説で事件を解決し、イギリスとアメリカで人気になります。

そんな処女作の発表直後の1924年、セイヤーズは男児を出産します。それは既婚者との秘められた恋の最中。私生児の出産も秘められたまま、それでも息子を預けて小説を書き続けていきます。ブループラークのあるロンドンのこの家は、1921年から1929年にセイヤーズが住んでいたところです。ロンドンのグレート・ジェームス・ストリート24番地。ここで男児を身ごもり、ここで小説が発表されました。その後結婚し、夫となったジャーナリストとの生活を送ったのもこの家でした。

セイヤーズが人生の転換期になった日々を過ごした家。そのブループラークを見つけたのは、ウィリアム・モリスたちが若き日に住んでいた家へ向かう途中でした。学校の柵の外で中を伺っている赤いセーターの男児を見つけて、何をしているのか見つめて歩いていくと、チャールズ・ディケンズの顔の画がある建物に出くわします。その先を歩いた突き当りに4階建ての住宅があり、そこにこのブループラークがありました。その時はどんな著名人かも知らないまま通り過ぎただけでしたが、さまざまな人たちの生活と物語があったことを、ブループラークは教えてくれました。

次にこの場所に向かう時はセイヤーズの小説を読んでからにしましょう。どんな思いでこの家で書き続けていたのか、お腹に命を宿した日々を想像しながら訪れたいと思います。