ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう

2025.08.24

英国史雑学

イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。

Wing Commander F.F.E. YEO Thomas (1902-1964)

  • Wing Commander F.F.E. YEO Thomas (1902-1964)

また難しい英語の銘文を見つけてしまいました。コマンダーと記されているので彼は司令官のようです。このWing Commanderは秘密の諜報員。秘密諜報員のフォレスト航空団司令官、フレデリック・エドワード・ヨー=トーマスがここに住んでいたようなのです。

コードネームが「ホワイトラビット」ことヨー=トーマスは、1920年のポーランドとソ連との戦いでポーランド側につきましたが、ソ連軍に捕まり死刑宣告を受けてしまいます。しかしソ連の看守の首を絞めて脱走をはかります。その後いろいろな職業に就いた後、第二次世界大戦が始まるとイギリスの空軍に入ります。1942年には特殊作戦の隊員となり、ブループラークが掲げられた家には1946年頃まで住んでいたようです。

ナチスドイツのゲシュタポに捕らえられ、ナチスの収容所暮らしも経て、やっと1945年5月にこのロンドンの家に戻ることができたヨー=トーマス。この家は妻が待つ帰るべき場所だったのです。拘留と逃亡を続けて生きて帰った喜びははかりしれません。英国政府から最高のジョージクロスをはじめイギリスから7つ、フランスから4つ、ポーランドから1つ、アメリカから1つの勲章とメダルが授与されます。

しかしその後の人生はあまり残されてはいませんでした。1964年にパリで61年の生涯を閉じます。パリのアパートで大量出血が原因で亡くなります。いったい彼の身に何が起きたのでしょうか。数多くの危険を回避して生き長らえたヨー=トーマス。せめて家族とともに最期の時を迎えられたのか知りたいところです。

後に作家のイアン・フレミングはヨー=トーマスの軍人としてのキャリアが、ジェームス・ボンドを見つけ出すきっかけになったと語っています。小説と映画さながらに活躍した秘密諜報員は、イギリスに確かに実在していたのです。