Mary of Modena~From the United Kingdom

2025.09.14

英国史雑学

メアリー・オブ・モデナはイングランドの17世紀の王ジェイムス2世のもとへ、イタリアのモデナ公国から嫁いできました。それが1673年のこと。イングランド王ジェイムス2世は最初の細君を病気で亡くし、2人の王女が残されていました。メアリー・オブ・モデナとは再婚です。14才の少女は25才も年王に世継ぎの男子を嘱望されて、イギリスにやって来ました。

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メアリー・オブ・モデナは国王の世継ぎと、もう1つイギリスにもたらしたものがあります。それはお茶。オランダで最新のお茶の作法を身につけ、新しいお茶の淹れ方飲み方をイギリスに広めます。熱いお茶を冷ますために、ソーサーにお茶を注いで口をつけるオランダでのお茶のマナー。さらに高価だったスパイスと砂糖を大量にカップへ入れます。カップの中でスプーンが立つほど、それはものすごい量の砂糖だったようです。

お茶は緑茶も紅茶も同じ茶葉。17世紀後半にボヒー茶と呼ばれる武夷山原産のお茶が、今の紅茶の元となったと伝えられています。発酵した茶葉は中国では好まれず、イギリスではボヒー茶が砂糖と合うことからだんだんと人気になっていきます。メアリー・オブ・モデナとジェイムス2世が結婚したのは1673年でした。1706年にトワイニングスが、1707年にフォートナム&メイソンが設立されていますが、メアリー・オブ・モデナが愛飲した茶葉はどちらだったのでしょうか。東インド会社がボヒー茶をイギリスにもたらしたのが1679年なので、既に紅茶の原型はあったようです。

ジェイムス2世の兄の国王チャールズ2世が存命中は、メアリー・オブ・モデナとジェイムス2世はスコットランドに住まいを構えていたので、エディンバラでお茶の習慣を広めていました。何度も懐妊しても死産だったり、すぐに病死だったりと、12人のお子さまをもうけますが、名もないままのお子さまが5人もいらっしゃいました。1685年ジェイムス2世が王位に就き、1688年にはついに王子が誕生します。でもこの王子の誕生で火種がくすぶり始めました。ジェイムス2世とメアリー・オブ・モデナはともにカトリック教徒。生まれた王子はカトリック教徒の王となります。この王子、ジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアート(オールドブリテンダー)の誕生で、ジェイムス2世たちは名誉革命でイギリスから追放されることになります。イングランド国王がカトリック教徒ではいけなかった時代は、またずっと先まで尾を引きます。

スコットランドのジャコバイトとイングランドの戦いは、ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートの息子の時代に苛烈な戦いを強いられます。メアリー・オブ・モデナの血脈はイングランド王には残りませんでしたが、スコットランドの勇者としてその名は歴史に留めることになります。

オールドブリテンダーの王子、ボニープリンス・チャーリーにも語りつがれているお話があります。ボニープリンス・チャーリーとフローラ・マクドナルドのお話はこちらでご紹介しています。

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