Flora MacDonald~From the United Kingdom

2023.02.23

英国史雑学

これはスコットランドの女性のお話。その女性、フローラ・マクドナルドは凛とした美しい佇まいの女性です。

フローラはスコットランドのために自分の命を賭す覚悟で、その王子を逃亡させました。そのスコットランドの王子はボニープリンス・チャーリー。ボニーは「愛らしい」の意味で、いとしのチャーリー、ボニープリンス・チャーリーと呼ばれ続けています。1720年生まれのボニープリンス・チャーリーことチャールズ・エドワード・スチュアートと、1722年生まれのフローラ・マクドナルドは1746年に出会うことになります。

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イングランドとスコットランドの戦いはくり返されていましたが、ボニープリンス・チャーリーたちの軍勢は1745年に蜂起しイングランドに攻め込みます。その後イングランドのダービーシャーまで進軍し、その戦いは勢いを増すかと思いきや、イングランド軍の猛攻に後退せざるを得ません。1746年4月にイングランド軍のカンバーランド公爵ウィリアム王子に、スコットランドのカロデンまでボニープリンス・チャーリーは追い詰められます。スコットランドのカロデンはインヴァネスの近郊で、そこには命を落としたスコットランド軍の兵士たちが数多く横たわっています。敗走を決めたボニープリンス・チャーリーは島に逃亡します。アウター・ヘブリディーズ諸島の島伝いに逃亡しているとフローラと出会います。フローラはボニープリンス・チャーリーを、召使の女性に変装させてフランスへの船までの逃亡を手伝います。

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30代頃のフローラの肖像画と呼ばれている画の実物を観たことがあります。若い頃とは少しふっくらとした頬が輝き、たおやかさの中に芯の強さも表れています。髪のリボンと肩掛けスカーフの艶やかな青も印象的な画。

ボニープリンス・チャーリーを助けた後のフローラは若い時とは違い、多くのものを見てきた目をしています。ボニープリンス・チャーリーを逃亡させた罪でロンドン塔に投獄され、やがて釈放されたフローラはその後アラン・マクドナルドと結婚し、アメリカに渡ります。ボニープリンス・チャーリーとの間には何もなかったと言われていますが、やがてスコットランドに戻り、その生涯を終えるとフローラのその遺骸にはかつて王子が眠ったシーツがかけられたそうです。それがフローラの遺言にあったのか、スコットランド愛を象徴する周囲の思いだったのか、それはわかりません。王子が過ごした島で、そのシーツと共に永遠の眠りに就いています。

※写真はロンドン塔に投獄されて2年後、28才頃と思われるフローラの画と、インヴァネス城でスコットランドを見守っているフローラ像。その顔立ちに意志の強さも垣間見えます。ちなみにスコットランドのショートブレッドのウォーカーズのパッケージにはボニープリンス・チャーリーとフローラの画を見ることができます。

※若き日のボニープリンス・チャーリーの肖像も併せてご覧ださい。