Glorious Revolution~From the United Kingdom

2023.06.24

英国史雑学

17世紀のイングランド王、ジェイムス2世は名誉革命で失脚します。さて名誉革命、Glorious Revolutionとはいったいどんな革命だったのでしょうか。実は意外なことにジェイムス2世の奥方の懐妊と出産が関係していたようなのです。イングランド王ジェイムス2世は清教徒革命で父のチャールズ1世を亡くします。ジェイムス2世も最初の妻に先立たれ、39才で若き妻をめとりますが、男子の誕生には時間がかかります。

そして若い妻のメアリー・オブ・モデナは14才でジェイムス2世に嫁ぎ、王女たちと王子を出産します。けれどお子さまたちはすぐに亡くなってしまいます。15年後に誕生した王子ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートは成人に至りますが、1688年に生まれたこの王子がきっかけで、名誉革命の歴史へと時代は進んでいきます。

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まずは王妃のメアリー・オブ・モデナをご紹介しましょう。メアリーはイタリアの公国の王女で、敬虔なカトリック信者でした。夫のジェイムス2世がカトリックに改宗したのは1668年頃と言われています。これはメアリーとの結婚前のことですが、2人の結婚によっカトリック信仰が深まっていったと思われます。しかしイングランドではカトリックの信仰は眉をひそめられ、受け入れ難いものでした。特にイングランド議会において、国王がカトリック教徒では大きな問題。そしてその世継ぎとなる王子もカトリック教徒では、目も当てられません。

ジェイムス2世支持のトーリー派は頭が真っ白になり、急進のホイッグ派がその間に動きます。オランダを巻き込んで、国王の座からを引きずり降ろそうと画策をします。ジェームズ2世と先妻アン・ハイドの娘のメアリー2世と、その夫のウィリアム3世を国王にしようと、ジェイムス2世を追い詰めます。ジェイムス2世は捕えられましたが、解放されイングランドを追われます。父のチャールズ1世の時とは違い、名誉革命は無血のクーデターに終わりました。

ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート。名誉革命の引き金になった王子でしたが、スコットランドではその後も支持を集めていきます。ジャコバイトと呼ばれるスコットランドのジェームス2世の支持者たちは、ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートこそが王位継承者だと信じ続けます。そしてジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートの息子チャールズ・エドワード・ステュアートは、ボニープリンス・チャーリー(いとしのチャーリー王子)としてイングランドに戦いを挑みます。それはフローラ・マクドナルドが助けたあのボニープリンス・チャーリーです。ジャコバイトの意味と後の救出劇がつながりました。歴史は事項だけ理解してもダメなようです。点と点、事実と事実が線となってつながると、その歴史への理解が深まります。

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※写真はウィリアム3世とメアリ―2世の終焉の地ケンジントンパレス。メアリー2世は1694年に天然痘で、ウィリアム3世は1702年に落馬の事故が元でこのパレスで崩御されました。