ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう
2026.10.22
イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。
Sir Victor Horsley (1857-1916)
このブループラークは新しいものです。2015年に設置されました。ヴィクター・ホースリー卿。調べてみるとお髭のとてもダンディーなお顔の方です。ホースリー卿は医師。先駆的な脳神経外科医で狂犬病撲滅にも貢献されています。
19世紀の後半にホースリーは脳の手術を行っています。世界最初の脳神経外科医と呼ばれていますが、もちろん日本で、ヴィクター・ホースリーの名をお聞きしたこともありませんでした。日本がまだ明治の時代、緻密な手術の技と知識を持ち合わせていた医師がいたとは、日本の医療との格差を思い知らされます。
ビクター・アレクサンダー・ヘイデン・ホースリーはヴイクトリア時代の半ばに、ロンドンのケンジントン地区で誕生します。父は歴史画の学術画家で、最初のクリスマスカードのデザイナーだったそうです。ホースリーはユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで医学を学び、1886年に国立脳神経病院・脳神経外科の助教授に任命されます。
ホースリーは禁酒と禁煙運動にも熱心で、人が健康で生きるための道も説いていきます。生涯のほとんどをロンドンで暮らし、ブループラークが架かったガワーストリート129番地には1882年に移り住んでいました。その翌年フレデリック・ブラムウェル男爵の娘エルドレッドとウエストミンスター寺院のマーガレット教会で結婚。この家で新婚生活を送ります。
1902年にはナイトを授与されたホースリー。ホースリー卿として婦人参政権を支持して、この後過熱するサフラジェット―婦人参政権の一助に努めます。しかし第一次世界大戦が始まると57才のホースリー卿は、軍に志願。1915年7月16日、今のイラクのバグダッド近郊のアマラで59才の生涯を終えてしまいます。その死因は熱中症。医療と慈善、改革のために費やした生涯、けれどまだまだやりたいことがあり志半ばだったことでしょう。ホースリー卿は今もアマラの地で眠っています。

