ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう
2026.08.20
イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。
Sir Edwin Arnold (1832-1904)
サー・エドウィン・アーノルド。ヴィクトリア時代の詩人であり、ジャーナリストでした。仏教の研究と東洋の研さんを深めた人物です。
オックスフォード大学で学び、卒業後は学校の校長も務めましたが、1856年校長としてインドに向かいます。インドの大学で学位を取得し、校長として7年間その任にあたります。このインド赴任中に仏教彫刻の研究も進めていきます。1877年にヴィクトリア女王がインド皇帝に就くと、アーノルドに1888年ナイトの勲章が与えられ、Sirの称号を賜ります。
1889年の明治22年には、アーノルド卿となり娘を連れて来日します。福澤諭吉がアーノルド卿の訪日中の援助をし、慶應義塾の講師の任も与えます。アーノルド卿の希望で日本家屋を住まいとして提供し、日本の生活もすっかりと堪能します。アーノルド卿は2度結婚をしていましたがお二方とも死別され、1897年に37才も歳下の日本人の黒川玉と結婚しました。玉はその後イギリスへ渡り、日本人女性としては初のレディの称号を賜ります。ロンドンでの暮らしにも慣れ、レディ玉は社交界でも通じる英語力を培っていたそうです。あの時代の日本人女性が英語を身につけ異文化理解をしていたのですから、それは努力の賜物だったのでしょう。
アーノルド卿は日本各地を旅し、その後タイ、スリランカ、ペルシャと訪問し仏教の研さんを深めます。スリランカで仏教徒となり、ベジタリアンになります。アーノルド卿はイギリスにおけるベジタリアンの先駆けともなりました。ブループラークのあるボルトンガーデンは高級住宅地。最晩年アーノルド卿はここでレディ玉と暮らし、1904年71才でこの世を去ります。その時レディ玉は35才。そのままロンドンに残られたのでしょうか。レディ玉をもっと知りたくなりました。
朝食後の散歩で見つけたブループラークの家に、日本人女性がかつて住んでいたとは… これも不思議なご縁だったようです。

