ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう
2026.06.24
イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。
Dante Gabriel Rossetti (1828-1882)
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ。学生時代に19世紀のイギリスの画家を卒論のテーマにすることを決め、ゼミの担当教授に申し出ると「全身も描けない、ろくでもないヤツだ」と強烈に反対された覚えがあります。
ロセッティは今やラファエル前派の設立メンバーの1人としてその名は高まっていますが、卒論執筆の時代には英語の文献と資料がほとんどでした。
ロセッティの画業よりその人生になぜか魅かれたのは、それは妻エリザベス・シダル、リジーの存在でした。リジーはラファエル前派のモデルとして見出され、彼らの画に登場します。一番有名な画のモデルはジョン・エヴェレット・ミレイの「オフィーリア」。オフィーリアは半ば目を開けてすでに意識のない表情で天を仰ぎ、小川を流れてゆきます。まるでリジーの早世を予見している画のようです。
ロセッティはリジーと10年にわたり曖昧な関係を続けます。そんな年月の中でもロセッティは、他の女性に思いを寄せていました。その思いを寄せる女性、ジェーン・バーデンがウィリアム・モリスと結婚すると、ロセッティは翌年リジーと結婚式を挙げることにします。それはジェーンを諦めたからの結婚。やはり結婚生活は長く続かず、1862年2月リジーは薬物の過剰摂取でこの世を突然去ります。ロセッティはリジーを自宅に置いて、レスタースクエアへ会合に出かけていました。帰宅するともうリジーはもうこの世界から去っていました。
ロセッティは1828年5月12日、イタリア系移民の学者の父と教育者の母の元に誕生します。その場所は昔の資料ではソーホーとも書かれていて、生誕地は定かではなかったのですが、ブループラークがあることを知りました。ロンドン滞在中にその場所へ出向きます。ロセッティの生誕地はリージェントパークに近い場所にありました。パブがある辻を左に折れるとそこは袋小路。その一角にブループラークは掲げられていました。
若い頃から自己主張が強く、情熱的だったロセッティ。そのカリスマ性で人々はロセッティの周囲に集まります。詩を書き、画を描き、その表現のフィールドを広げていきましたが、ほんとうのところは画力に自信もなく、ただ強がっていたようにも思えてしまいます。何かになれるはずの自分。両親の元で将来の大きな自分を夢みていた場所が、この小路の家だったのでしょう。
夏至の頃の長い日の暮れ、まだ明るい黄昏の時間にたどり着いたロセッティ生誕の地のブループラーク。若き日のロセッティが窓辺から、暮れないロンドンの空を見ている、ふとそんな気になりました。

