John Ruskin~From the United Kingdom
2026.01.24
ヴィクトリア時代の高名な美術評論家となったジョン・ラスキンは、当時ロイヤル・アカデミーから忌避されていたラファエル前派の画家たちを擁護しています。1851年にタイムズに擁護の手紙を送り、ラファエル前派の画家の1人のジョン・エヴァレット・ミレイを旅行に誘います。
ラスキンは裕福な家庭に生まれ育ち、画家ジェームズ・ノースコートが描いた幼い頃の肖像画まで残されています。そして6才で貴顕社会の子息たちが行うグランドツアー、大陸への旅行を幼くして出かけます。見聞を深めるためのグランドツアーは、ラスキンの審美眼を養い、教養も深めていきました。それ素地となり美術評論家をはじめ、作家や講師としても活躍しています。けれどラスキンにもできないことがあったのです。
穏やかな風貌と顔立ちと、理知的な青い瞳。ラスキンに憧れる女性は少なくなかったと思います。1848年に結婚したエフィ・グレイとの結婚はラスキンが29才の時で、エフィは19才という若さ。ラスキンは少女の頃からエフィを知っていました。2人の結婚生活は1854年まで続きますが、子宝に恵まれることはありません。スコットランド旅行に誘われた画家のミレイ。その理由はラスキンの肖像画を描くためでした。
峡谷の荒々しい流れの前に立つラスキンの肖像は、威厳に満ちていますが、穏やかな表情をしています。このスコットランド旅行でミレイがエフィと恋に落ちますが、でもそれはエフィのSOSでもありました。エフィはまだラスキンとベッドをともにしたことがなかったのです。この三角関係はヴィクトリア時代の大スキャンダルにもなりました。エフィの潔白は証明され、1855年にミレイはエフィと結婚をします。
エフィに去られた後のラスキン。エフィが理想の女性ではなかった、嫌悪感を抱いていたそうです。ラスキンは女性ではなく、少女に憧れていました。12才から知っていたエフィが大人になって女性となった姿、それは受け入れられなかったようです。その傾向は「不思議の国のアリス」の著者、ルイス・キャロルにもありました。「不思議の国のアリス」でルイスは、グリフォンのキャラクターをラスキンに重ねます。ラスキンとルイスは教授と学生の関係で、どうやら教授として熱心ではなかったラスキンを揶揄していたようです。
ラスキンは評論家としての文章も残していますが、画も描いていました。自分の審美眼も高め、画家たちを支援していきます。ラファエル前派の創設メンバーの1人のロセッティが1882年に、ミレイが1896年に、元妻のエフィが1897年と、自分より若い者たちが他界していきます。ラスキンは80才までその生を全うし、19世紀の最後の年に亡くなりました。晩年は仙人のように髭をたくわえ、その姿は幽境の境にいる者のようだったと伝えられています。その姿はこの世にあっても、ラスキンはもうすでに自分の好きな美しい世界にいたのかもしれません。
※写真の肖像画はロンドンのナショナルポートレイトギャラリーで見つけました。

