Lillie Langtry~From the United Kingdom

2025.09.25

英国史雑学

横顔のとても美しい人を見つけました。その女性の名はリリー・ラングトリー、生まれた時の名はエミリー・シャルロット・ル・ブレトン。イギリスの社交界で活躍し、舞台女優としても名をはせました。

その白い肌と美しい容姿は賞賛され、1882年イギリスのペアーズ石鹸のポスターで一躍有名になります。その前年に女優になって、舞台に立ったリリー・ラングトリー。シェイクスピア劇の主役を務め、圧倒的な存在感で多くの観衆を魅了します。多くのファンが生まれます。リリー・ラングトリーに女優を勧めたのはオスカー・ワイルドと言われています。詩人であり劇作家のオスカー・ワイルドとも知り合いだったとは驚きです。

そんな美貌のリリー・ラングトリーの最初の結婚は1874年の20才の時。その時の夫の名ラングトリーをずっと名乗ります。夫のエドワード・ラングトリーはアイルランドの地主。でもリリー・ラングトリーは「お金がない」とも言い、その結婚生活はうまくいかなかったようですが、いろいろな知己に巡り会う機会を与えられます。1878年には高名な画家となったジョン・エヴァレット・ミレイのモデルとなり、その美しい姿を残しました。1877年にはある晩さん会で、当時の皇太子エドワード王子と隣合わせに。皇太子は既婚でしたが、リリー・ラングトリーにすぐに夢中になってしまいます。母親のヴィクトリア女王に紹介の機会を設け、愛人関係は1880年まで続きました。

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皇太子との関係が終わってしまうと、リリー・ラングトリーはお金に困窮してしまいます。それでオスカー・ワイルドが女優を勧めたわけです。それでもまだラングトリーの妻のまま、離婚するのは1897年です。どんな結婚生活だったのでしょうか。絶世の美女は多くの男性たちの比護と援助を受けて、関係を持ち続けていきます。離婚成立後は再婚もしますが、依然とリリー・ラングトリーに男性はついて回ります。

リリー・ラングトリーはシャーロックホームズの小説にも登場しているそうです。アーサー・コナン・ドイルの「ボヘミアの醜聞」。ボヘミア、今のチェコのあたりにあった公国の国王と秘密の恋を巡ったお話で、国王が愛したアイリーン・アドラーがリリー・ラングトリーをモデルにしたと言われています。ホームズの作品にアイリーン・アドラーはこの作品にしか登場しませんが、出し抜かれたこともあり、シャーロック・ホームズにとってどこか気になる女性だったのでしょう。今ロンドンにあるシャーロックホームズ博物館には、アイリーン・アドラーらしき写真も飾られているそうです。

美しいリリー・ラングトリーの生涯は幸せな時間だったのでしょうか。名声と富を手に入れ、アメリカで自らの劇団でツアーを行い、両国を魅了してきたリリー・ラングトリー。モナコで75年の生涯を閉じると、生まれ故郷のイギリスのジャージー島に埋葬されます。昔の無名だったリリー・ラングトリーこと、エミリー・シャルロット・ル・ブレトンに戻って静かに眠っているのかもしれません。

※写真はナショナルポートレイトギャラリーのリリー・ラングトリーの肖像