Judy Garland~From the United Kingdom

2025.06.17

英国史雑学

2019年に公開された映画、「ジュディ 虹の彼方へ」ではジュディ・ガーランドの晩年が描かれています。ジュディは1939年公開の「オズの魔法使」のドロシー役で有名になりました。ドロシーを演じたジュディは16才、当時大人気子役だったシャーリー・テンプルのキャスティングが実現しなかったため、ジュディに白羽の矢が立ちます。

「オズの魔法使」中で歌う「Over the Rainbow」は今でも歌い継がれる名曲となり、ジュディの華々しい女優としての人生が始まります。12才のシャーリー・テンプルより年上だったジュディはもう半分大人、ドロシーを演じるのには苦労があったようです。またティーエージャーの食べ盛りの時期にスタイルを保とうとしますが、やはり食欲を抑えるのは難しく、その当時与えられていたダイエット用の薬は何と覚醒剤。また長時間の撮影に耐えられるように薬物は欠かせなかったようです。

当時の俳優たちの薬漬けは多少なりともあったようですが、ジュディの場合は母親がそれを仕向けていました。夫と別れたジュディの母は3人の娘たちをマネジメントとしてショービジネスで売り出し、生活のために仕事をさせています。やせるため、働かせるために覚醒剤を使えば眠れなくなり、次は眠るために睡眠薬を投与することを続けます。

そんな悲惨な生活と母親から抜け出すために18才でジュディは最初の結婚をします。その後も離婚と再婚をくり返し、やがて三人の子どもたちに恵まれます。その1人は後の女優、ライザ・ミネリ。ライザも後に薬物とアルコールに依存する生活を送っていますが、70才を過ぎた今も表舞台に登場してきます。母親の早世は時代がそうさせたのでしょうか。

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ジュディの晩年は生活にも困窮してきます。薬物とアルコール依存、眠れなく休まらない精神と身体。そんな時にジュディにロンドンでの仕事が入ります。ロンドンのレスタースクエア近くのナイトクラブでの出演、これが1968年のこと。映画「ジュディ 虹の彼方へ」ではそのロンドンでの日々が描かれます。体調不良で無理やりステージにひっぱり出され、それでもマイクを持つと歌えます。1969年3月にロンドンで5度目の結婚をするジュディ。けれどナイトクラブの仕事は客とのトラブルでなくなります。映画では、観客と一体感が持てるステージを最後に願ったジュディ。それが途中で歌えなくなった「Over the Rainbow」でかないます。

1969年6月22日、ロンドンの高級住宅地カドカンレーンでジュディの死亡が確認されます。死因は自殺ではなく、恒常的に薬物を摂取していたことによるもの。47才の短い生涯を終えたしまったジュディの、虹の彼方にはどんな世界が広がっていたのでしょうか。「Over the Rainbow」の歌詞が染みてきます。

※写真はジュディ・ガーランドと子どもたち。一番上の娘がライザ・ミネリです。