ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう

2025.06.23

英国史雑学

イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。

Sir Winston Churchill (1874-1965)

  • Sir Winston Churchill (1874-1965)

イギリスの伝説の首相と言って思い浮かぶのは、やはりウィンストン・チャーチル。もう半世紀以上も前のイギリスの首相ですが、100人の最も偉大なイギリス人の第1位に2002年のBBCのテレビ番組で選ばれています。チャーチルはオックスフォード近郊の世界遺産のブレナム宮殿で1874年に誕生しました。マールバラ公爵の出身ですから、ブルーブラッド―名門の出身です。

チャーチルは名門のパブリックスクールハロー校を卒業後、いわゆるエリートたちが入るオックスフォードやケンブリッジの大学には進学せず、サンドハースト陸軍士官学校で実践を学び陸軍入りします。政治は会議室で行うものではなく、現場で行うことを体現した政治家でもありました。インドとスーダンで兵士としての任務にあたり、1900年に国会議員となります。

1940年5月10日、戦時内閣を率い第61代のイギリス首相となりますが、その後解散総選挙で野党となり下野したチャーチル。けれど1951年10月にまた返り咲き、第63代の首相の座に就くことになります。2度目の首相として77才を迎えたチャーチル、その健康状態は好くはありません。葉巻を愛し、ランチにシャンパン1本、夜もシャンパン、さらに食後にウィスキーやブランテーを呑み、その酒豪ぶりも有名でした。首相の抑圧からの解放されたいための喫煙と飲酒でしたが、身体に好いわけがありません。

ロンドンのハイドバークゲート28番地、ここに掲げられたチャーチルのブループラーク。この家はチャーチルの終の棲家となりました。1945年に総選挙で敗れたチャーチルはこのハイドパークゲートの家を購入して、ここで戦争報告書を仕上げます。1951年に首相に戻るとダウニング街10番地の首相官邸で政務を続けますが、健康上の理由で1955年、首相を辞任せざるを得なくなります。またこのハイドパークゲートの家に戻ってきます。

1964年11月29日、この家の前に大勢の人々が詰めかけます。翌日はチャーチル90才の誕生日で、報道陣とお祝いのための人々が家の前に集まります。チャーチル夫妻が窓辺に現れていたのです。過度の喫煙も飲酒の習慣があっても90才を迎えたチャーチルですが、残された時間はあとわずか。翌年1月24日の日曜日の朝、この家から天に旅立っていきました。

SIR WINSTON CHUCHILL, K.G. 1874-1965 Prime Minister lived and died here

このブループラークの邸宅は、ケンジントンガーデン近くの袋小路の奥にあります。90才のチャーチルが姿を現した白い窓もまだそこに残っています。