Caroline of Brunswic~From the United Kingdom

2023.10.15

英国史雑学

キャロライン・オブ・ブランズウィックは、19世紀のイギリス君主ジョージ4世のお妃です。キャロライン王妃はドイツからジョージ4世に嫁いできたのですが、この結婚はとてもたくさんの問題をはらんでいました。その1つの原因がキャロライン王妃のお風呂嫌いがあったようです。

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イギリスの君主たちがヨーロッパの王室や貴族の子女から、妃を娶ることはよくありました。フランス、ポルトガル、スペイン、イタリアと各国から王女たちがイギリスに渡り王妃となっていましたが、17世紀に英語が話せないジョージ5世が王位に就くと、ドイツからのお妃が続きます。ジョージ5世はドイツのお生まれで、英語が話せません。その王妃にはドイツから従妹のゾフィア・ドロテアが嫁がれていました。次のジョージ2世にはキャロライン・オブ・アーンズバック、ジョージ3世にはシャーロット・オブ・メクレンバーグ・ストリッツ、ジョージ4世にはキャロライン・オブ・ブランズウィックと、4代にわたって王妃たちがドイツから輿入れしてきます。どの王妃たちもたおやかで美しい肖像画が残っているのですが、キャロライン王妃の肖像画は何か悪意を感じる肖像ばかりで… そう、お美しいと思われる肖像画があまり見当たらないのです。

キャロライン・オブ・ブランズウィックは1768年5月17日、ブランズウィック公爵の王女として誕生しました。公爵の生まれにあっても家庭環境は複雑だったようで、つらい子ども時代を過ごした記述も残っています。1794年一度も会ったことのないジョージ4世と婚約をすることになります。翌1795年4月ご結婚、その時キャロラインは26才。当時では10代での結婚もあたりまえでしたが、ジョージ4世も33才で遅い結婚となりました。それもそのはず、ジョージ4世は皇太子時代から大の遊び好き。女性関係も派手で、多額の借金を抱えていました。結婚は借金返済をするために、父ジョージ3世の強制でした。

結婚式でジョージ4世はキャロラインを、キャロラインもジョージ4世には好い印象を持ちませんでした。ジョージ4世は肖像画で見た容姿ではなく、大食漢で巨漢。そのうえマザーグースの歌でも有名な、「ジョージー・ポージー、プディングとパイ。女の子たちにキスして、泣かせていた」と揶揄されているほどの大柄な体型です。またジョージ4世も肖像画で見たキャロラインとはまるで違う太った容姿と、その体臭に驚かされます。それもそのはず、お風呂嫌いで下着も替えないキャロライン。どうしてそこまで無精になってしまったのでしょう。問題の多いこの結婚は、最初から成立はしなかったようです。それでもシャーロット王女が1796年に誕生します。ジョージ4世もキャロラインも、お互い強か者だったようです。

離婚を望むジョージ4世。でもその道のりは長く1820年にやっと王位に就いた時に、キャロラインとの結婚の最終決着へと持ち込みます。イギリスでの生活に辟易し、海外に住んでいたキャロラインは、1820年6月5日イギリスに戻ります。そして王妃になる権利を主張しますが、ジョージ4世は結婚の無効をつきつけます。それも姦通罪という罪をきせて、合法的な手段に訴えようとしていました。しかし国民の感情はキャロライン王妃を支持します。国王の評判の悪さと、腐敗した政治の犠牲者だと人々は同情します。結局、国王の望む離婚は認められません。ジョージ4世は戴冠式の日に引導を渡します。王妃であるキャロラインを、戴冠式会場のウエストミンスター寺院へと入れることを拒みます。キャロラインは閉ざされた扉を前に諦め、ウエストミンスター寺院を後にしました。それが1821年7月19日のこと。

それから間もなくの1821年8月7日、キャロライン王妃は急逝されます。突然の病にもキャロライン王妃は冷静で、書類や手紙。回顧録を焼き捨て、遺言を書き、葬儀の手配もしたそうです。医師は腸閉塞が死因であると下しましたが、毒殺されたとの噂も広まりました。ジョージ4世とキャロライン王妃のお話は、BBCのラジオドラマにもなりました。そのタイトルがThe People's Princess。ジョージ4世を演じたのが、ドラマ「ザ・クラウン」でエドワード8世を演じた名優アレックス・ジェニングスです。聴いてみたいのですが、BBCの現在のサイトではこのドラマの再生は今できません。

キャロライン王妃のひどい体臭、お風呂嫌いも、何だか意図的に話を盛っているように感じられます。仲が悪かった国王と王妃。その王妃には悪意に満ちた評判と、悪意を感じる肖像画が遺されました。実物とは違う颯爽としたジョージ4世の肖像画。それもまた悲しくなります。

※画は1795年4月8日に執り行われたジョージ4世とキャロライン王妃の結婚式。美しくも醜くもないお2人のリアルなご様子が伺えます。そして肖像画で最高の画家として名声を馳せた、トーマス・ローレンス卿が描いた36歳の頃のキャロライン王妃ですが、やはり… 見目麗しいお姿ではないようです。