Frankenstein~From the United Kingdom

2026.09.26

イギリス歴史・雑学

今ではハロウィンの仮装のアイコンにもなっているフランケンシュタイン。その名からドイツのお話かなと思っていたら、イギリスの作家が書いたお話でした。

美しい18才の女性がフランケンシュタインのお話を考える

その恐ろしいフランケンシュタインを書いた作者はメアリー・シェリー。とても見目麗しい女性です。ゴシック小説と呼ばれる恐怖を煽る文学が18世紀後半から登場し、その直後の1797年に誕生したメアリー。フランケンシュタインを書く土壌はできていたのかもしれません。フランケンシュタインの着想は1816年。詩人のバイロンに誘われて訪れたスイスのジュネーブ、レマン湖の滞在中に生まれたようです。フランケンシュタイン誕生はバイロンの影響もありました。

5月に奇譚を書こうとバイロンに提案され執筆を始めたメアリーは、その時不倫の真っ最中で、不倫相手のシェリーの妻の自殺で12月に晴れてメアリー・シェリーとなります。翌年5月にフランケンシュタインは完成します。9月には3番めの娘が誕生。それ以前に2人の子どもを授かっていたメアリーでしたが、最初の子は未熟児のため亡くなっていました。16才で妻のある詩人のシェリーと恋に落ち、駆け落ち、出産と、メアリーは10代で波乱万丈な人生を始めていたのです。

フランケンシュタイン出版と子どもたちと夫との別れ

ドイツの幽霊話をバイロンの別荘のあるレマン湖で始めた4人の男女。だからドイツの名のようなフランケンシュタインが生まれたようです。死体が蘇る話からフランケンシュタインは生まれました。深夜メアリーが見た幻影。それは横たわる死体、それを機械が動かす、命が宿る、そんな発想からフランケンシュタインのお話が生まれます。1818年にフランケンシュタインの初版が匿名で出版されました。

そんな密かな作家デビューの後に次女が病死、その翌年には長男もマラリアで亡くなってしまいます。相次ぐ子どもたちとの別れ。メアリーの精神状態は悪化していくなか、執筆だけがメアリーの光明でした。次男を11月に出産して少し落ちつきを取り戻したメアリー。けれど亡くした子どもたちのことは生涯忘れることはありませんでした。イギリスを離れてイタリアに滞在していたシェリー夫妻でしたが、1822年7月に流産で悲しい思いをしていたメアリーにまた悲報が届きます。夫の乗ったヨットが沈没してしまったのです。
 
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メアリー・シェリーをモデルにした映画もたくさん

まるで小説のような人生を送ったメアリーですが、1823年にイギリスに帰国し執筆を続けます。1823年には舞台が上演され、そして1910年には映画化もされたフランケンシュタイン。1931年にはフランケンシュタインの映画の名作が製作されます。1935年にはその続編「フランケンシュタインの花嫁」、1974年には「ヤングフランケンシュタイン」、1994年には「メアリー・シェリーのフランケンシュタイン」とフランケンシュタインは映画として製作され続けてきました。それだけインパクトが強いストーリーを残し、若く美しいメアリーに注目が集まったようです。

2017年にメアリーを主人公にした映画「メアリーの総て」が公開されています。メアリーの生きた当時の様子が垣間見え、若く美しいメアリーが等身大で描かれた作品です。なぜ若く美しい女性が「フランケンシュタイン」のような怖いお話を思いついたのか、最初に亡くした長女を生き返らせるためだったとこの映画では描かれていましたが、そこは疑問が残ります。確かに母親はメアリーの出産がきっかけで亡くなり、その後の半生も子どもたちの相次ぐ死、そして夫の水難死とメアリーは他にも多くの死に面していました。けれどそれはフランケンシュタインを書いた後のこと。やはり天からの啓示のような幻影、それがメアリの手に書かせたものだったのかもしれません。
 
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※写真はナショナルポートレートギャラリーで見つけたメアリーの肖像画、メアリーがロンドンで暮らした家、そしてフランケンシュタインの着想を得たレマン湖。1816年の夏のレマン湖はこんな晴天ではなく、雨が多くて過ごしにくかったとメアリーは回想しています。